マイハズバンド・マイワイフ

悲しみのありかを教えてほしい、そうしたら耐えられると思うから。

 

常にそうありたいと思い続けるのは難しいことだ、彼女は言った。

私は確かにそうかもしれない、そう思ったが口にしなかった。その代わりに薄くなったスターバックスのアイスコーヒーを一口啜り、三回それを繰り返した。そして彼女は飲みかけのアイスティーを捨て、私に

「行かなきゃ、さよならだね」

と言った。階段を降りていく彼女はスローモーションみたいにゆっくり揺らいで見えた。

私はとても悲しくなった。

そこは私のお気に入りの場所だった、店員が飲み物を出すカウンターと、客がそれを飲む席とで場所が分かれており、店員のいつまでいるんだ?という目線を感じずに済むからだ。

いつまで待っても外は雨が降り、まるで私の心のようだった。木々から雫がおち、風で木の葉が揺れる、夏の始まりの夜だった。そこではセロニアス・モンクのエヴリシング・ハップンス・トゥー・ミーが流れていた。私も本当に、同じ気持ちだった。ゴルフの予定を立てると雨が降り、パーティを開こうと思ったら上から苦情が来る、

そのように何をしても駄目なようなそんな気がした。店内のオレンジ色の光が私に影を落としていた。そのオレンジ色の光は、ゴッホの絵を連想させた。ゴッホ、そしてゴーガンは私が好きな画家だった。彼らの描く作品は、目に見える色彩をより高度なものにしてくれるから。

私は早く雨が止んで欲しいと思った、空に永遠に泣かないで欲しかった、私の方が悲しいのだから。

同時に、雨がもっと触ればいいのに、と思った、私の涙を隠して欲しかった。

本当は声をあげて泣きたかった。

 

そういえばいつの日だったか彼女はこう言った。

「時々思うことがあるの、なんでこんなに自分は惨めなのかなって。そう思ったら、止まらないの。涙が溢れちゃうの。ほんとは人の目とかも気にせずに大声で突っ伏して泣きたいの、できればアフリカのサバンナとかの乾いた草原の上で思いっきり泣きたいの、周りの動物がびっくりして私に近寄れないくらい。食べちゃおうなんて絶対思えないくらい可哀想、ってみんな思うの。そういうのをいつも想像するの。そう、いつも喉がキュッとしまって、息が苦しくなってくるの。そうしてみっともない姿をさらすのを、いつもぎりぎりで耐えてるの。」

「なんでそんなに悲しいんだろう?」

私が言った、これは私が言ったのだ。

 

真夜中まで残り、十五分という時間だった。雨はまだ降り続けていた。

 

彼女とは私が大学生二年生のときに映画のサークルの夏合宿で仲良くなった一つ年上の女性だった。彼女は外国語学部でフランス語を学んでいた。話すきっかけになったのは、夏合宿一日目の自己紹介の時だった。サークルのメンバー全員、たしか計二十人ほどだったと思う、が輪になって自己紹介をした時のことだ、その時は名前、所属、学年とともに、好きな映画を答えなければいけなかった。私は先の三点を言ったあと

「好きな映画はジョージ・キューカー監督の『女たち』です。ジョーン・フォンテインが出てくる作品はすべて好きですが、この作品のフォンテインは出番は少ないながら、とても可愛い、そしてセリフひとつひとつの言い回しもとてもうまいと思います」

と言った。

ほとんどのメンバーがこの映画を見ていなかったが、自己紹介が回り切ったあと

「ねえ、私も『女たち』大好きなの。ノーマ・シアラー主演の映画よね?あの映画の『なぜ男の人は同時に二人の女性を愛せるかどうかを証明したら、ノーヴェル賞が取れるだろう』ってセリフをとてもよく覚えてるの、そして私もジョーン・フォンテインがとても好きよ、オリヴィア・デ・ハヴィランドより好きよ。フレッド・アステアとの『踊る騎士』が一番好きかも。お気に入りの二人が共演しているって理由だけだけど」

と言った。この映画を自分以外に鑑賞している人に初めて出会い、私はとても嬉しくなった。そのあとの合宿は他のサークルのメンバーはそっちのけで、ただひたすら彼女と映画について話し合った。

 

彼女の眉の上で綺麗に切りそろえられた前髪と肩にかかる黒はいつも艶めいて美しく、少し梔子の香りがした。多分香水の香りだろう、でも私はそれが彼女から漂う香りだと思っていた。かの匂宮のように。まつ毛はふさふさして長く、いつも上をくるりと向いていた。目は焦げ茶色でべっこう飴のように艶々していた、そしていつも私の目を見て話してくれていた。だから彼女のことを思い出す時にはいつもあの目が思い浮かぶ。鼻は筋が通り、唇は本当にバラのような色をしていた。顔には右目の下、左眉の上、唇の下、右頬の真ん中に一つほくろがあった。彼女はマジックペンで時々黒い点を書き足して星座を作っていた。しかし多少ありすぎるほくろも含めても彼女はとても美しかった。すらっとしていて肌の色はとても白かった。鮮やかな色の服を着ている姿はあまり見たことがない。いつもグレーや黒などの服を身につけていた。それは彼女の魅力を引き立てていた。いつも父親からもらったという、細くて、私ならすぐに無くしてしまいそうな、金の華奢なピアスをつけていた。毎日それをつけていた。仲良くなってから気づいたのだが、時々右鼻にも同じように細くて華奢なピアスをつけていた。あるとき聞いたことがある、鼻にピアスをつける時にはどういう意味があるのかと。そうしたら彼女は

「意味なんてないの、全てが気分なの。でも記念するということは、私にとって覚えておく、ということなのよね」

そう言った。

 

彼女はとかく人に好かれた。いつも周りに人がいた。親切であったし、聡明であったからだ。そして、言葉選びが上手で、常にその時に使うべき、ただしい言葉を知っていた。私にはそれがとても素晴らしいと思っていた。反対に私は、別にそうしたいと願ったわけではないにもかかわらず、友達と呼べる人は少なく彼女がいなければ基本的に一人でいつもいた、それは忖度ということができなかったからだろうか、いつも思う。ただ、思っていないことには頷けなかった。

彼女と私は、よく渋谷の文化村の奥にあるラブホテル街にそびえている名画座に行った。そこでいく度となく映画を見た。私たち以外に客はほぼ高齢の人々しかいなかった、だからいつもその映画館はお香の匂いや高齢者の体臭が蔓延していた。私たちはそこで二、三本続けて見ることもあった。私は決して裕福だったわけではない。都内の大学にいちおう都内の実家から約一時間半かけて通学し、学費だけ親が払っていてくれた。しかし映画と読書以外に趣味がなかったし、友達も多くなかった。少なくとも心を通い合わせ、語り合える人は彼女に出会うまで、いなかった。彼女は福岡に家族が住んでおり、一人暮らしをしていた。アルバイトはしていなかった。高校時代は一年間フランスのモンペリエに語学留学していたらしい。要するに裕福な家庭であった。

私たちは趣味があったので、永遠に映画や本の話ができた。彼女はイタリア映画が好きで、暇さえあればフェリーニの映画を繰り返し見ていた。

永遠に、永遠に、永遠に回り続ける、甘い、甘い、甘い生活

私は特にこだわりというものがなかったが、色がついている映画を楽しめなかった。白黒映画しか、興味がなかった。今日もバティストは人混みに押しつぶされ、ガランスは去っていってしまった。

「去る女と追いつけない男、この世で一番悲しいものね」

と彼女は言っていた。私はそうは思わなかった。それよりもナタリーが気になった。なぜ自分を愛してくれない男がこんなに好きなのだろうと思った。だけれどナタリーが羨ましかった。私も全てを投げ出して、自尊心など、燃えている家屋に放り投げられるような激しい恋がしてみたかった、そして、それを愛と呼んでみたかった。

 

私は恋愛経験が乏しかった。好きかもしれないと思うような男の子は都度いたが、誰にもデートに誘うようなことはできなかった、私は不細工ではないのだと思うのだけれど、かといって美人でもなかった。髪の毛は癖毛で、パーマをかけたようにうねり、雨の日には二倍に広がった。鼻は低く、笑うと縮んだ。だから人前で笑うのは、いつも悲しかった。犬歯が少し前に出ており、肌の色は浅黒かった。身長は高くもなければ低くもないが、胸は小さかった。これといって目を引くようなパーツは持ち合わせていないと思っていた。だから誘われても、性行為がどこか遠い国の話に思えて、いつも浮遊する藁のような、そんな気持ちだった。

彼女は私の瞳をいつも褒めてくれた、だから、この薄い鳶色(らしい)の自分の目だけは、自分の中で好ましく思うことができた、いつか死ぬ時は、この目だけは最後に焼いて欲しいな、と思った。

 

大学二年生の時に彼女に出会ってから、私たちは多くの時を一緒に過ごした。夏に出会い、秋にはほぼ毎日映画を一緒に見た。十一月のある火曜、大学が休校になった日、私たちはいつものように渋谷へ映画を見に行った。そしてそこで『化石の森』を観た。私はハンフリー・ボガードがとても好きだった。『化石の森』のボギーはずっと悲しそうだった、ずっと釣り上げられていた眉が、最愛の女性に裏切られたと分かった瞬間にクイッと垂れ下がった。そのシーンが強烈に私の中に残った、彼女はレスリー・ハワードが好きであったし、何より、化石の、森、という題材が良かった。私と彼女はいつも映画を見た後は近くの喫茶店でお茶をした、その時に彼女は、

「私が死んだら、化石の森に埋めてね、きっとよ、あなたが来るまで化石の森で待っているから」

といった。半分くらいに残ったコーヒーには、彼女のピアスが反射しててらてら光っていた。

 

そうして秋が過ぎ、冬が過ぎ、春がきた。彼女は私に

「道には花が咲き、木々には小鳥が囀り、横にはあなたがいる、なんて素敵なことなの」と言った。

詩的な表現だ、美しい言葉だ、と思ったがそれが私に向けられていることがいまいちうまく理解できなかった。歯の噛み合わせがうまくいかない時みたいに私には違和な感じがしたから黙っていた。

「あなたも、私が聞いたこともないような言葉で私に愛を囁いてみてよ」と彼女は冗談めかして言った。

私は少し考えて、

「地球の半分あなたにあげられるくらい好き」

と言った。

「彼女はどうやって分けるの?」

と言った。

私は

「私はタヒチが好きだから、あなたには北半球あげる」

と言った、彼女は北極熊の孤独を和らげたいから嬉しい、と笑った。

それぞれみんな私たちは地球を持っている、人それぞれ大きさは異なっていて、私のはきっととっても大きい、比べたことないけれど。世界の広さをしればしるほど、きっと地球は小さくなる。私は海の外以外どこにも行ったことはなかったけれど、それで良かった、むしろそれが良かった。私の形成する地球を誰にも壊されたくないからだ。

そんな話をいくらでもした。

 

私がよく覚えているのは彼女と砂漠と深海どちらが怖いかの話をしたことだ。

私は何よりも砂漠が怖かった、水が飲みたくて仕方なく、唇は白くカサカサしてきて、まきあがる砂嵐に目を痛める、細かい砂の粒は残酷で、容赦なく私たちの服の中に入り込んできて、あちこちざらざらしてくる、そんなことは想像しただけでも恐ろしかった。

「この恐怖は多分、『サハラ戦車隊』と『三人の名付親』から来てると思うのよね、どちらも一滴の水を大事そうに飲むでしょう、あんなのって多分、耐えられない。顔も体もカラカラに乾いて、ひび割れてきちゃって、それでも太陽は妥協なんて絶対してくれなくて、常に私たちを焼き尽くそうとしてくるでしょう、そんな暑苦しい太陽のこと考えるだけで恐ろしいのだけれど」

私は言った。

彼女は

「砂漠は星が見えるでしょう、そういうのって素敵だと思う。私は深海の方が怖いな。太陽の光が全く入ってこなくって、どんどん胸が苦しくなって海水はしょっぱくてすごく辛いの。潜っていくと、真っ暗で怖い形の深海魚がみんな私を見つめてるの、彼らから私は見えるけど私は彼らが見えないの、でも目だけみんな光ってるの、そんなのって無理よ」

と言った。そんなことあり得ない、深海に人は生身で潜ったり出来ないと思ったがそんなことはさして重要じゃなかった。それに深海魚がそばにいてくれたら、少なくとも一人ではないと思えるではないか。

さみしくなったら電話をかけて、という歌詞の曲が永遠に流れ続けていた。

 

彼女は親戚が持っている一軒家に一人暮らしをしていた、東京の郊外にある代わりになかなか広かった、私はよくそこへ遊びにいき、泊まって帰った。その一軒家は坂の上にあり、二階に上がると広い窓から夜の街の光がよく見えた。二人で時々それを眺めた。私はふと

「この光の中のどれくらいが、悲しくて泣いているのだろう」

と言った

「でもそれはあなたではない」

と彼女は言った。

「今日は、私ではない」

と言った、それは彼女に届いていないように思えた。

でも涙を流すだけが泣くことじゃない、心のうちは私だって、土砂降りかもしれないじゃない、と小さい反発心が出てきたが、実際その時私は悲しくもなければ孤独でもなかった。彼女がそばにいて、そこには呼吸と温かさがあったからだ。

二人でベットに入り、彼女は少し腕を伸ばしてベッドランプを消した。

彼女は月の光が差し込む、少し二人で寝るには狭いベッドで、でもいつも柔らかくて光の香りがするベッドで、私に向かっていった。

「泣かないでね、どうか。あなたのためならなんでもしてあげたいって思うよ。心から。これが愛じゃないなら、なんだというの?どれだけ示しても、あなたが、これが愛だと気づくのは私がいなくなったずっとずっと後だろうと思う。あなたがバイオリンを聞きたいと言ったら頑張って練習するし、そばが食べたいと言ったら頑張って蕎麦の実をもいで、沢山こねてみるよ。」

その時のわたしは、全くそんなのが愛だなんてわからなかった。

今気づくのはそれが紛れもない愛だったことだ。

あたたかい春の小川のせせらぎや、頬にあたる柔らかい日差し、夏の竹藪の匂い、木から漏れ出す月の光、秋の木の葉の色の重なり、冬のシロクマの体毛のように積もった雪、それら全てと同じだった。

彼女はないていた。彼女の涙を月が照らしていた。右目から一つの川ができていた。すぐに干上がってしまう儚い川だ。

 

 

大学を出て、彼女は北区にあるフランスのインターナショナルスクールの教師になった。誰からみても彼女は魅力的に思えたし、後から知るのだが、表面上は、彼女は愛想をよくしようと思えば誰よりもできるのだ、そして、その逆もそうだった。彼女はそこでとても朗らかにしていたので誰からも好かれた。

私は大学院に進んだ。両親があまりに私が本ばっかり読んでいるのでお金を出してくれたのだろうと思う。私としては、特に熱心に学びたいと言うものはなかったが、学生を続けられるのは嬉しかった、こうしていつまでも過ごしたかった、いつか終わりが来ると言うことをわかっていながら、偽りの自由に、肢体を伸ばして、安全なリンパ液に浸っていたかった。そして大学から三駅先のこじんまりした映画館でアルバイトを続けた、上映中は休憩スペースで本が読めたし、掃除も適当にしておけば許された。示唆的なコーヒーと、技巧的な菓子パンが、売店では売られていた。

 

彼女が就職して三年後の冬、彼女は結婚した。会いに行こうと思えば、いつでも会える距離だった。地下鉄を乗り継げば二時間はかからずに行けるところだ、でも、そこはとてもとても遠くかった。ともすると、地球上にはいないみたいに遠かった。彼女の家を訪れることは、覚悟が必要だった。その時私は心のどこかで逃れられない不安に気づいていた。彼女の結婚と自分の存在が、うまく結びつかなかった。

 

彼女が結婚したのは八つ上のフランス人だった。彼はスペイン真上のバスク地方出身で、フランス語に加え、バスク語という地方固有の言語、そしてスペイン語が話せた。身長が高く、細身でありながらしっかり筋肉がついていた。髪の毛は少し前髪が薄くなっていたが、柔らかそうな濃い栗色で、その栗色は頭の上からインクを垂らしたように脳天から毛先に向かっていた。彼は同じインターナショナルスクールの教師で、生徒に対してはあまり愛想がよくないらしい。しかし彼は人気があった。物事を、感情を込めて説明せず、公平であろうと務めているところが見受けられたからだ、そして適当な、生徒を根本的に裏切るような授業をしないからだ。そこは彼のよいところだと、彼女は明るく話した。たまに彼が微笑むのをみると、女子生徒たちは数週間、思い出して嬉しくなるらしい。彼の父も、祖父も代々バスク地方で教師をしており、彼は何を考えたのか日本で教師をしているわけだが、教師であることに変わりはない。

映画は彼女と同じように、イタリア映画を好むらしいが、彼が好きなのはヴィスコンティであり、『家族の肖像』が一番お気に入りであった。文学ではナギブ・マフフーズを好んで読んでいた。

一度結婚式の前日、かなり冬も深まった十二月、私と彼女と彼とで、南青山の大通りから一本外れた地中海料理屋に行った。かなり繁盛しているようで、店内は賑わっていた。また店員の国籍もさまざまで、ネームプレートの隣に出身などの自己紹介が短く書いてあった。店員のワインとチーズ、オリーブオイルの説明がやたら長いところを除けば、居心地の良い店だった。店内の至る所に置いてある、モダンなストーブの暖かさが私たちを包んでいた。

彼は私と話すときにも、決して世辞などは口にしなかったが、目を見てゆっくり話してくれた。それは彼女と同じところだった。彼が紡ぐ言葉には、適切な言葉が見つからなかったから、そこにたまたま落ちていたありあわせの言葉を使い表現した、と言ったようなところがなかった。適切な言葉が出てくるのに、私が少し待つこともよくあった。

彼は私に

「コミュニケーションにおいて、僕はダキョウしたくないんです、サイダイゲンに歩み寄りたい。イントネイションやハツオンも。僕はフランス人だから、hのハツオンに慣れるのに、少しクロウしました。最初はハルキムラカミのことも、アルキムラカミと言ってしまうワケです。ハルキとアルキはゼンゼン違いますよね。また彼女との間にゴカイも生みたくないし、彼女にもジョウホされたくない。僕は日本語がボゴではないから、何か自分の気持ちを表すときに、やはりゴイは少なくなってしまいます。オモムキブカイという言葉だって、生徒が話しているのを聞いて、日本に来て五年目で知りました。そういうこと全てが、僕にとってはストレスになります。やはり、あくまでも僕にとってはですが、ゲンゴの壁というのは、人が考えるよりも、この場合、人というのはイッパンテキ、という意味で、高く厚いものです。そして人のカンジョウというのはマコトに微妙なものです。たとえば、大切な家族、ニクシンですよね、を失ったとき、第一志望のシケンに落ちてしまったとき、どちらも悲しい、というケイヨウシを使って表現します。でも、その悲しみは、テイドも違えば、シュルイも違います。ときには漢字も違います。片方はソウシツカンともいい、もう片方はラクタンとも表現します。そういったサイをできるだけ明確にヒョウゲンしたい。それはこの日本語という言語が好きであり、この言語をボゴとする彼女を愛しているし、かけがえのないタイセツなひとだからです」

彼女はそれを聞いて優しく微笑んだ。

「彼が生徒に愛想がよくないのは彼生来の性格もあるけれど、おおかた公平であろうという姿勢からきているのよ、それに私に対してとても誠実だし、愛情を感じられるの。だから結婚するの。私の、幸せを願ってくれる?」

私は

「もちろん。滝が上から下に落ちるよりも当たり前に。」と言った、

歩いて月に行けないことよりも当たり前に。と私は心の奥で付け足した。

 

彼女と彼は世田谷の、駅で言うと三軒茶屋駒澤大学の間の二人暮らしにはいささか広いマンションに住み始めた。結婚して半年後の五月の初め頃だった。彼らは職場も一緒であるので交通の便より、周りの雰囲気を重視した。二人とも三軒茶屋にまだ残っている下町のかんじが好きなのだそうだ。引越し祝いに彼女の好きな芍薬を三本と、バターサンドの箱を持って遊びに行った。彼は不在だった。パリから来たフランス人の友人と出かけているそうだった。新居のリビングは、清潔を絵に描いたような白さで、壁には鮮やかな色彩のポスターが飾ってあった。彼が好きなのよ、と彼女は囁くように言った。彼女の部屋に入ると、観葉植物が所狭しとベッドを囲んでおり、ジャングルを連想させた、ゴリラの金切声と、ワライカセミのけたたましい叫び声が聞こえるようなそんなジャングル。ベッドはリネンの生地で統一されており、ベッドの白に植物の緑がよく映えた。窓は大きく光が差し込み、部屋は明るかった。アイボリーのアンティークのデスクに『バイナル・カスライン』が重ねられていた、そしていつものように、クチナシの香りが部屋全体に品よく充満していた。

「朝起きたときにジャングルの中で寝てしまったっけ、と錯覚したいのよね、『モガンボ』みたいにね。あれは本当にいい映画だったと思わない?エヴァ・ガードナーの美しさの映画よね、あれは。ここの近くに安くて質がいい花屋があるからつい買っちゃうのよ、そしたらどんどん増えてしまってね、かわいいでしょ、このモンステラ。彼には少し呆れられているんだけど。(ここで彼女は顔を傾けて笑った、モンステラの葉をいじりながら)寝室は分けているの、やっぱり夫婦になっても、寝る時まで一緒にいなくたっていいわよね、私たちは職場も同じだし、一人だと寝る前に何をしたって咎められないしね。」

と言った。私もそれに同意し、素敵だと褒めた。彼女は、彼と職場が一緒であり、ほぼ全ての時を過ごしていると、生活に幸福な退屈が生まれてしまうから嫌だと語った。しかし彼はそれを望んでいるようだった。

「本当に、遠慮しないで会いにきてね、あなたは、彼とは違った方向で私にとって必要なの。私が結婚したからと言って、変わることなんて何もないのよ。私自身、何も変わりたくないの。だからいつだって遊びに来て。ゲストルームだってあるし、彼も気にしないだろうから」

と言った。私も何か嬉しいことがあったときに彼女とまず話したく思ったし、好きな映画や美味しい食べ物について彼女と分かち合いたかった。だけれど結婚している夫婦の家に頻繁に向かうということが正しいことなのかどうか私には分からなかった。だからその申し出に対して

「あなたがいいなら、もちろん。私にとって友達と呼べるひとは、あなただけなんだし。でもあなたの夫は良くは思わないと思うけど。そしてこの家はあなただけの家ではないじゃない」

と答えた。彼女は口角だけ上げて微笑みに似た何かの表情を作った。彼女は、そのようなとは心配しなくて大丈夫だと言った。

 

実際、私が大学院を出て就職した会社の部署は、アルバイトのように自身で出勤日を決められるフレキシブルなところであった。だから彼女の提示する日にちに、彼女の家に向かうことができた。だいたい一ヶ月に二、三回は向かったと思う。私たちは、その時間を大体において彼女の部屋で過ごし、映画を見たり、雑誌を戯れに開いたりした。ときに料理を共にすることもあった、彼女の料理の味付けはたいてい濃く、私は薄かったので、二人で作るとちょうど美味しくなった。

彼女が結婚してから、彼女が借りていた東京郊外の家は売りに出されることとなった。彼女はそれをとても寂しがり、訳を聞くと、私の日々はあそこにあったから、と答えた。

結婚して一年目の夏が来て、彼女と彼はヴァカンスにバスクに行くこととなった。三週間の予定らしい。彼女はサーフィンができないので、二週間くらいで飽きるかもしれない、と言った。

そうして出発した十日後、彼女は私に電話をかけてきて

「明日日本に帰るの、ちょっと体調が悪くて。医者にも行ったのだけど、どこも悪くないって言うの。少し心配で、戻ることにしたの。彼もいっしょに帰るって言ってきたのだけど、三年ぶりに家族に会うんだからあなたはゆっくりしてきなよって言ったのね、その説得に時間がかかるのなんのって。一日はかかるのよ、彼って頑固だから。彼のお母さんがとうとう入ってきちゃったしね、でも明後日には時差ぼけも治るだろうし、また二人でゆっくりしない?二週間彼は帰ってこないから、その間はずっとうちに泊まってもいいし。じっとりとして、日本の不快でぬるぬるしてしっけた暑さが恋しいの。こっちの渇いた空気の晴天は、なんだか私に冷たくあたるのよ」

と言った。そして彼女に実際に再会したとき彼女は少し日に焼けて、肌が赤くなり、少し荒れていた。

 

彼女と私はだいたい毎日会っていて、私の仕事がある日には、私の映画館に遊びに来た。そして一緒に帰り、彼女のベッドで一緒に眠った。彼がいない日常は数年前の私たちであり、遠い国にいる彼は、私たちの中では存在しないも同然だった、少し開かれた彼の部屋からは埃がうっすらつもっているのが見えた。

彼が帰ってくる二日前の夜、わたしたちは久しぶりにワインを飲んでいた。彼女が甘いものしか飲めないため、綿井が買ってきたオレンジワインを二人で飲んでいた。彼女のペースは早かった。私は彼女のベッドに仰向けになって『青い麦』を読んでいた。この前コレットの『ジタネット』と言う短編を読んでから、彼女の作品を読み始めたのだった。コレットの中にある普遍性が好きだった。変わらないものは、安心させてくれるひとつのものだ。彼女は机に座って何か書き物をしていた、彼女の字は綺麗だったがいささか綺麗すぎて人を気後れさせた。私の字はかなり右上がりで、バランスが悪かった。

 

彼女はまだ少し残っているワインを、私の近くのベッドテーブルに置き、私の隣に腰掛けた。少しためらいながら、何かを言おうとしては口を閉じ、その時間が続いた。それで私が

「どうしたの?」

と聞くと、彼女は私の目をしっかり見て、口を開いた。私はその時、何か彼女の目に深淵を覗いたようなかんじだった。

「あのね、実はね、私妊娠しているの。多分まだ一ヶ月目とかなのだけど医者には行ってないの。でもわかるの。あのとき、絶対彼は、着床させるつもりだったと思うから。そんなかんじのセックスだったの、とっても彼の身体はあつくて、汗ばんでて、赤くなってた。タイトル『情熱』とか『本能』とかなんとかで作品展示できそうなくらいには、絵に描いたようだった。もちろん私も興奮してたけど、子供は当分欲しくなかったからコンドームはつけて欲しいって言ったのよ。でも彼は多分子供が強く欲しいと望んでいたから、三回目の時は、私、強く言えなかったの、彼のこと、誤解しないでね、優しいひとなんだけど、あまりに私のことが好きすぎるの。それでなんか私、笑っちゃうんだけど、雨に打たれている子犬みたいに可哀想に思えてきて、ちょっとほぼ同情みたいな、いとしさで、つけなくていいわよって言ったの、そうしたらその一回で、下品だけどビンゴ!ってかんじなのよ。でも、私親になるなんて準備ができていないし、怖いのよ。あなたとこうして会えなくなるってことが。子供ができたらもうこんなふうにはいかないわよね。きっと。それが怖いのよ、一番怖いことなの」

私は妊娠という言葉におどろき、その後に襲ってきた少しのさみしさと、その後彼女が親になるという事実にまたおどろき、そんな気持ちの変化が一瞬でないまぜになって

「こどもがいるのね、ここに」

とまだいつも通りほっそりした彼女のお腹を見てつぶやいた。

「安心してね、いつもしているのは彼の部屋だから」彼女は少しだけ笑っていった。

彼女がこんなに直接的な言葉で何かを語るのは初めてだった。だから私は少し動揺していた。

私は彼の部屋には一度も入ったことはなかった。そこは彼女らの聖域だと思っていた、私にとってのテラ・インコグニタでもあった。

 

彼がバスクから帰ってきた一週間後、三人で彼女の家で夕食をとった。彼女はタコライスを作り、テーブルには果物が何種類か切られていて、まろやかな香りが漂っていた。彼女は彼に妊娠を打ち明けた。彼は目を見開いて、しばらく止まり

「C’est vrai?」

とだけ言った。その後、少し目を滲ませながら彼女のお腹にキスを浴びせた。彼女はいつものように彼の栗色の柔らかい髪の毛を撫でながら

「Oui」

と言った。

 

それから彼女たちは新学期が始まって働き始めたが、彼女は十一月には産休を取った。彼女はまだ早いと言ったが、夫が聞かないのだそうだ。彼は子供ができたとわかってから生徒にやわらかくなったらしい、彼女が言っていた。私はその話を聞いて、高校二年生の時に、出産して学校に戻ってきたら、違う人のように優しくなった化学教師を思い出した。いつも教科書を忘れた生徒をねちっこく責めていたのに、戻ってきたら、

「次からは気をつけなさいね」

の一言をにこやかに言ってのけたあの先生だ。

 

「人の一部と人の一部が混ざり合って、新しい人間ができるってすごいことよね、とっても月並みな感想だけれど」

と彼女は言った。彼女は毎日家にいて退屈だから遊びに来て、と私にいった。私は仕事を減らし、あるいは彼女と会う前や、会った後に仕事を終わらせた。そして彼女の部屋で共に過ごした。

ある日には彼女の部屋で、私はトルストイの『愛あるところに神あり』を読み、その時彼女は、クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を読んでいた。トルストイの方は短編だったので、すぐに読み終わり、私は淀川長治の本を数冊開いて次に見る映画は何にしようかと考えながらページをめくった。

またある日には、新宿御苑に行って、やわらかく草いきれのする芝生の上で二人でカフェラテを飲んだ。その後向かった温室の熱帯植物はいきいきと生えることに、疲れ果てていた。冬にも生かせられ続ける植物のやるせなさ。彼女は銀杏が綺麗だから見にいこうといい、実際、色鉛筆で塗ったような山吹色で、綺麗だった。その近くの木のふもとに居を構えて、私たちはまたサブウェイのサンドイッチを食べ始めながら、たわいないことを話し合った。風は少し冷たかった。

 

大抵彼女とは彼が帰宅する夕方ごろに別れるのだが、私がたまたま彼女のベッドで眠ってしまったままで、起きたときには彼は帰ってきていた。暗くなった部屋のドアから廊下の光が差し込んでいるのが見えた。どれくらい寝てしまっていたのだろう。彼女は夕飯を作っており、トマトとスパイスの香りがしたから、多分ミネストローネを作っているのだろう。彼女の部屋のドアの、右斜め前には彼の部屋があった。何か話し声が聞こえて、私は聞かないでおこうと思うも、やはり耳を澄ませていた。

彼女は言った。声は少し苛立っていた。彼女には珍しいことだ。

 

「誰かの幸せが誰かの悲しみになってしまう世界なら、歩み寄ろうとしてもむなしいだけよ。取れない鎖のサビのように。私がどれだけせつなくて、命を慈しんで、名も知らぬ人に想いを馳せても、平和のための演説を、耳が手を生やして嫌なポーズを取るほど聴いてもね。結局届かなくて、やわらかく生温い血を流した子供たちや、地下鉄で深海のような青さにまぎれて死んでいった魂も、私の涙と一緒に乾いてしまうのよ。」

彼は

「歩み寄ろうとすることが大事なんだよ、どうしようもないことをいっても、どうにもならないんだ、何も変わりはしないんだ、外に向き合わなきゃヘンカは起きない。君のいってることはタイヨウが東から西に登ることのように正しい、でもそれじゃ一生君は鉄の塊のようにヒジョウな世界と手を繋いで、生きてしまうことになる。平和というのはいささか大きすぎる、君と僕が手を繋いで、一緒に歩く、君と僕が一緒に過ごしてゆくってことが、それがセカイヘイワの第一歩なんだ。」

と言った。

 

緩やかで、しかし断固とした沈黙。

 

彼は続けた。

「残酷な沈黙で終わらせないで、君と僕のカナシミのありかを見つけたい。

君の心のオクソコにある、宇宙の黒よりまっくろで、ドロドロしていて、ねっとりとしていて、時にものすごくきびしい、それでいてとてもあたたかい、そんなものが生まれてくるよ、君は、大丈夫だ」

彼女はなおも黙っていた、鼻を啜っている音が微かに聞こえたから、多分泣いているのだろう。彼女は妊娠してから、時々なくようになった。

私はもう一眠りしようと思ったが、できなかった。彼女が呼びに来るまで待とうと思った。

 

彼女の家にほぼ入り浸っていたのもかかわらず、彼女の夫と顔を合わせたのはこのことも含め四、五回程度だった。彼が帰ってくる頃には私は自身の家に帰っていたからだ。その代わりに彼がいない時間は、彼女とほぼ過ごした。もう彼女の部屋のレイアウトに関しては、このせかいの誰よりも私は詳しかった。どこに彼女の服が閉まってあり、クローゼットの中のどの洋服が気に入っているのか。好みの化粧品のブランドや、よく聴く音楽のジャンルなど、(映画音楽とは別に、彼女はよくR&Bを好んで聴いていた)大学生活の時にはしらなかった彼女の部分を知ることは、彼女を得ていくことと同じだった。そうして彼女の知らない部分が減っていくのが怖くもあった、私たち二人はあまりにも溶け合いすぎていた。

 

私が彼女のことで知らないことは、彼女の夫との性生活のゆくえと、彼女の中にいる子供のありようだけだった。そう思っていた。彼女の子供は日に日にその存在感を増していき、十二月の終わりにはもうそのお腹の膨らみから、存在を感じ取らないことは不可能だった。

彼女は不思議なほどに、自身の中の生命の話をしなかった、避けているわけでもなさそうだったが、特に話したいような素振りを見せなかったので私もあまり触れなかった。話すことがあっても、

「お腹が大きくなってきて、もともとあった服が着られなくなっていくのがなんだかいや」

と彼女が言って

私は

「産んだらだんだんと戻って、着られるようになるだろうから心配しなくてもいいのに」

などといった百回は繰り返されていそうで、もう擦り切れている会話をした。

春には彼女のお腹はどんどん大きくなっていて、私たちが話している時、生まれていない胎児も共にいるようで私は本当に少しだけ、気まずさを覚えた。

去年は、桜の木の下で、彼女に膝枕をしてもらい、まどろみながらヘッセの『春の嵐』を読んでいたことを思い出す。もう彼女のひざは、彼女のこれから生まれてくる子供のものだ。

 

彼女の出産予定日の一ヶ月前だった。彼女はこの頃、よく夢をみるらしい。

「どんな夢?」

と私がきくと

「私は電車に乗ってるの、よく晴れた日の昼下がり、山手線の階段を降りて、いつものように渋谷の映画館に行こうとするの、いつもと違くて、その階段には全然人がいないの。目下に見えるのは、初老の男性たち、身なりはきちんとしてて、片方は真っ赤なベレー帽をかぶっていて、もう片方はグレーのふさふさしている髪が揺れてるの。二人が手を絡めてそれはもうしっかり。瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に、とかの歌の部分で、絶対にわかれない滝の流れなの。彼らなら、自分たちの流れにあらがう岩は、粉々にしてみせるって、そんな感じの手の繋ぎなの。命綱より硬そうなの。そんな二人が、一緒に階段を降りているところ。私は時間があったから、というのは嘘で、そのおじいさん二人興味を持ったから、ついていくの。そうしたらさっきとはうってかわって、この世の人間全てここに集まったのかなって思うくらいの人混みに入っていくの。渋谷のスクランブル交差点なんだけど。いきなりそのふたりが、大声で喧嘩し始めるの、スクランブル交差点のど真ん中で。手を繋ぎながら大声で喧嘩し始めて、彼らには車も、往来の人々も、やってくる警察さえも見えてないの。その後、急に世界が変わって、パリのルーヴル美術館の『ミロのヴィーナス』の前でも、大声で怒鳴りあって喧嘩してるの。その後はニューヨークのタイムズスクエアで。そのあとはヴァチカン美術館の『ラオコーン像』の前で。彼らだけの世界を作って、みんなにうんざりされてるの。完全に、彼らだけの世界が、空間が構築されているのを見て、私ものすごく胸をうたれるの。そんなゆめ。」

 

 

梅雨が過ぎて、彼女は医者にもう一週間以内には生まれるだろうと言われていた。彼女の夫は休みをとりたがったが、彼女は

「学校の期末テストも近いのだし、忙しいでしょう、私が休んでいるぶん、あなたはすごく働いてくれてるって聞いてるわよ。いつも私のこと、守ってくれてありがとう。だからいつも通りにしてくれた方が私も気持ちが楽なのよ。」

と言ったらしい。彼女の言葉にいつも偽りはなかった。全て本心なのだと、そう信じることができた。彼女が彼を思う気持ちと、私と彼女の関係に行き違いことなど何もないと、本気でそう思っている。私もそうだと思っていた。

 

黙って互いの鼓動をきいている夜だった。

月が私を呼ぶ季節になっていた。月は私たちを柔らかく照らし、距離なんてないように思えた。月が私たちに寄り添ってくれていた。

 

夜の静けさと、時折入る車の音、かすかに聞こえる虫の音があたりをうすいベールのようなもので包みかぶさっていた。

その中でわたしはベールを揺らし、つまんで、そっと剥がした。

彼女は体を震わして泣いていた。彼女の黒髪が、涙でじっとりと濡れた頬に張り付いて、彼女はいくらかその髪の毛を口に入れてしまいながら私に言った。

「やっぱり、私は運命付けられた義務に背いてしまったの、あなたが石しか愛せなく、石にしか性的欲望を抱かない人間でも、何とかして、文字通り、わたしのもてるものすべてをつかって、それでも無理なら私の周りの人をつかってでも、あなたを手に入れようとして、あなたを私のものにしなければいけなかった。たとえ、肉が削がれても。胸が張り裂けて細い骨が一本一本コツンコツンと出てくるほど、あるいは湯上がりの娼婦みたいに、血がポタポタと絶え間なく流れるほど、流してでも。なのに、逃げたから。一瞬の隙をついて逃げたから、少しでも楽になりたくて、ふつうっぽく、なんでもないようにしたくて、こんなことになってしまって、もう戻れなくなってしまったの。私たちの日々のすべてを、もっと大事にすべきだったのに。もう戻れないところまで来てしまったの、本当に、本当に私に必要だったのはあなただったのに」

 

そしてそう言い終えたあと、彼女は私の唇にゆびを、冬の窓ガラスのように冷たくて、ほっそりしたゆびを、ゆっくりと這わせ、そのぎこちない動作のまま、彼女の唇は私の唇を優しく包み、口付けた。彼女の唇は湿っていて、ふるえていて、涙ですこし、しょっぱかった。彼女の濡れた吐息は桃の匂いが微かに残り、くちびるはこの世で私がふれたなにものよりも柔らかかった。唇が離れたあと、彼女は本当に小さな声で、ずっとこうしたかったの、と言った。彼女は今にも消え入りそうだった、そんな彼女が、はじめてあやうくみえたから、私は彼女を同様にぎこちなく抱きしめ、横になってあなたからされるすべてのことに嫌なことなんて何もない、といい、眠るよう促した。

 

私も彼女が眠りにつくのを見届けたあと、なぜか涙が出てきて、その液体を流しっぱなしにしたまま、髪の毛に吸い込まれるままにして眠ろうとした。だが、できなかった。先程のキスのことを考えた。彼女は、私のことが、性的に、好きなのだ、と思った。だが、私は彼女のことを、性的には、好きではなかった。限りなく彼女のことを愛していた。そしてもはや、私たちは互いの一部で無理に引き裂けば、ばらばらに解けてしまうもろいものでもあった。ただ、彼女のことを性的に欲する、ということはなかった。私の性欲の高まりは自己完結できるもので、他者を必要とはあまり(だいたいにおいて)しなかった。

彼女とはそこが違った。彼女は私のことが好きで、私を求めていたから。

いつからそうだったのかはわからない、明確な時点はないが、私は心の自分でもどこかしらないような場所で、気づいているような気もした、自分でも分からない。

ただ、そう言った気持ちをいだかれるのに、なんの嫌悪感もなかった。ただ私が彼女を求めないだけだ。

 

彼女の頰は熟れすぎた山桃のように赤く、海の水を吸い込んだ涙で濡れていた。すうすうと立てる寝息はひそやかに、室内に音を広げていた。彼女が私にとっては、乳飲み子のようだった。彼女の後ろにはもうすぐで屋根の代わりになりそうな観葉植物が、手を伸ばしている。私はそれを眺めながら、彼女に抱かれることを想像してみる。彼女が私と共に裸になり、全ての肌と肌を合わせ、その体温を感じることを考える。彼女が私の身体を愛撫することを想像してみる。彼女が私の全てを暴いているところを想像する。やはり、濡れない。それに加え、彼女が私の身体に舌を這わせているところを想像したら、嫌悪はないが、違和な感じがした。

そこにやはり、深海の底より深い、大地の裂け目のような乖離があるのだろう。

性的に欲するか否か、性的に欲する側に立ってしまったら終わりだ。性的に愛さない人間との間は埋まらず、交わることは決してない。地球と月は、常に共にあるが、月は地球には来られない。直接的にこの二つが交わることはなく、距離は依然として疑いようもなく存在する。

あまりに眠れないので、私は大学院生だった頃、よく話した二つ上のスウェーデン人の准教授のことを考えた。私の好みの人間だった。彼の顔は、神話に出てくる神のようだった。軍人マルスのような格好がとても似合いそうなのに、分厚い眼鏡と、目立たないシンプルな衣服とでその姿を隠していた。彼に蹂躙されることを想像した、普段温厚な彼が、獣のようになって私をあつかう、そんなところを想像する。そうするといつも、濡れてくる。

 

やはり、彼女のことは求めることができない、それは学者の宇宙への果ての探究心よりも深く、中国の仙人が座って瞑想する時の岩石よりも堅い確信であった。

 

私は結局、夜明けとともに眠った。

 

その日、朝遅く目覚めると、彼女はいなかった。書き置きには

彼と病院へ行ってきます、もし明後日、時間があれば十九時ごろ(彼女は私がいつも時間があるのを知っていながらこういう気遣いを見せた)、久しぶりにあのスターバックスで待ち合わせをしましょう、まだ外は蒸しているから、中で待っていてね

と書いてあった。

 

その、束の間の逢瀬の後、彼女はいなくなってしまった、本当にどこにもいなかった。

 

しかし、すみれみたいに、ギリシャまで探しにいく必要はなかった。

彼女は五日後に、北九州の海から引き上げられた。彼女がもうほとんど生まれていた、つまりこの世に存在していた子供と自死を遂げたのだ。あんなに深海を怖がっていたのに、と思った。一番こわいものに、一番人はひきつけられるのだ。

彼女が去った後、そして誰もいなくなった

いちど彼女の家に訪れた。彼女の夫に呼ばれたのだった。彼は憔悴していて、顔に表情というものがなかった。かろうじて目と鼻と口、そうしたパーツが残っているというような印象を受けた。話すときにそのパーツが壊れかけの人形のようにゆっくり動く。

「この中から好きなものを持っていってください、エンリョをしないで。」

と言った。私は彼女の“きっかけ”を探そうと躍起になったが、それはどこにもなかった。書き置きもなければ、メッセージも入っていなかった。結局彼女のピアス二つだけ持って、部屋を出た。

彼女の部屋の観葉植物たちは腐敗し、異様な匂いを噴出していた。残された彼は、後に彼女の寝室のジャングルを全て焼き尽くした。否、全てではない、彼女が一番可愛がっていたモンステラだけを携えて、その後すぐにバスクに帰った。

 

悲しみなんて、言葉では表せないのだ。喪失なんて、苦しすぎて陳腐なものだ。

彼女の意思に関係なく、流れに身を任せてはいけなかったのだ。

ちょうど前髪をかきあげるように、ゆるやかに、思いとどまり、口をつぐみ、いざなわれればよかったのだ。

 

みんな、ちがう、他の人とはちがうと思っている、顔の皮一枚剥がせば同じ骸骨が出てくるのだ、なぜみんな知らないのだろう? 明日の天気や昨日の日付より、思い出さなくてはいけない、覚えておかなければならないことがあるのを知らないのだろうか、肝心なことは誰もわからないのだろうか、みんな、背けているだけなのではないか、自分だけは特別で、そうなりたかろうとも、そうでなくても、自分だけは生き残ると思っているのだ。心のどこかで、死を格子の外の話だと勘を違えて話しているのだ。

つややかな花びらだけ触っているなんて不可能だと思い、涙が出るまでの過程と、ベッドメイクされ忘れたベッドが必要なのだ。電車に置いてきた花束、愛という名の欲望、二人だけのデート、夢なんて見ないでほしい。

7月19日(水)

土曜以来彼から連絡来てなくてふとした時泣きそうになるんだけど、これってやってて意味あんのかな?会えないのが辛いなら普通に会おうよっていうべき?それとも私から会わないって言ったのにそれは違うかな、待つことに意味があるのかないのかわかんないけど、とりあえず7月末まで待ってみる。そこからこなかったらもう折れて完全にもう友達として会って(会えないのは辛いから)他のいい男を探すか、ブロックして存在を無かったことにして写真とかも全部消すか、瀬戸際。はやくして

7月7日(金)

今日は(これを書いているのは日曜なのですが)思い出して書くことにします。

 

昨日は朝9:00くらいに起きて、12:00提出のESを一個だし、その後プレゼミの集まりに行きました。2限の時間に集まる予定だったのですが、ESのため少し遅れ、11:30に青学に行きました。その後いろいろ話し合い、12:30くらいの時間には雑談に変わりました。四人グループなのですが、一人授業があり来れず、バイクに乗って日本のいろんなところに行ってる2年生の男の子(確かにガタイいい)と、すごいいい子な三年生の女の子と話しました。なぜ、仏文に入ったかや、夏休みの予定などを話しました。3年生の女の子は夏はフランスに短期留学に行くそうです。男の子はベトナムと四国を回ったりする計画を立てているそうです。二人とも楽しそう

 

私は、その時に彼からちょうど返信があり今日会う予定だったのでそのあとスマホの充電をしに大学の図書館へ行き、彼からの返信を待っていました。

彼といつ会う?となって金曜は学校があるらしいのにサボったらしく、私は午後から空いてるっつったからおやつの時間←言い方可愛い❤️くらいから会えたのに彼は6時くらいに会う?と言ってきて遅くない??とおもいましたが、そういえば彼は昼は暑いの嫌いだったからまあしゃーないと思い(彼はliterally モヤシ人間だから)どこで?と聞いたら神保町、と言いました。神保町にほしい本があるそうです。先に神保町にいると彼が言ってたのでそれについてこーとおもい、5時に待ち合わせしました。

 

会うと色々割愛しますが、永遠に暗闇に石を投げているような感覚、に陥りました。何を言っても何を話しても空振り三振、かなりしんどかったです。のちにわかるのですが、私は彼といるとお腹が全く空かず、液体物だけで1日を過ごせるのですが、彼はもちろん違くて(当たり前)普通にお腹が空きます。私がお腹が空いてないのでご飯を食べる前に喫茶店に行ったのですが、そこらへんで彼はお腹が空いていたにもかかわらず私はそのあと2時間くらいからに何も食べさせませんでした。←これは、私が悪い。可哀想確かに。彼はお腹が空いてる?と聞いた時にまあ、と言ったけど後で日記を読んでみるとかなりil était trop faimだったようで、可哀想でしたね。17時に集まり、ご飯は20時半くらいからでその間何も食べてなかったのですから。

 

しかし私はこの日自分の中で心に誓っていることがありました、それはこの日で彼との逢瀬(言い方)を最後にする、ということです。これはかなり心で強く決めており、具体的にいうと、自分からは決して誘わない、ラインをしない、今日で最後!と本当に決めていたのです。しかしそれを彼に伝えることはせず、ひっそりしようと思っていました。彼から来るなら話は別だけどもう自分からのアクションはやめ、彼がしてこないなら一か月でも2ヶ月でも会わないぞ!と思っていたのです。しかし、この真っ暗な闇の池の中に永遠に小石を放り込む作業がキツく、彼に会わないって言おうか言わまいか迷いましたが、理性があるので言いませんでした。

 

そうしてようやく東京駅のオーバカナルというフレンチに行き、私は空きっ腹に白ワイングラスを二杯入れました。普段はあまり酔わないのですが、この日も別に酔いませんでした。私は本当に酔って人間が変わることがありません、自分でいくら飲んでもセーブが効きます。酔ったときは、ただ眠くなるというか、瞼が少し重くなるだけです。ガチです。

しかし、ちょっと酔ったという名目でもう言いたいことをこの日に多少重いと思われてもいいから言おう、と思っていました。彼はお腹に食べ物を入れると途端によく喋るようになり、子供かよと思いましたが、みんなそうなりますよね。それで、彼がこの前本棚の整理してて、ダブったやつとかで良さそうなの持ってくればよかった、そしたらあげられたのに、と言われ、私もサリンジャーの『フラニーとズーイ』をあげようと思ってるけどいる?元カノからもらった寺山修司の詩集みたいに追いやられたらやだなー、と言ったらそんなことしないよ、サリンジャーならいるよ、と言われてそこから話は始まりました。私は、私が元カノの話された時悲しくて夜枕濡らしながら号泣してるのを知らないでしょ、ほんとは悲しくてこの前とか次元カノの話を自発的にし始めたら絶縁って思ったからねというと、自分からしたことないじゃん、とか泣いてるとかはわかるわけないじゃん(言い方は優しく言ってました)と言われ、確かに冷静に考えると彼からしたことはないな、、、、、と思いましたが悔しいので否定をしておきました。2杯目をほぼ飲みきった辺りで、彼がわかった、じゃあTシャツも捨てるし本も捨てるよ、と言ってきました。燃やし尽くせ!と思いましたが、ふーん、と言いました。

 

彼はお腹がいっぱいになったのか機嫌をよくし、この後スタバ行こうよと言ってきたのでまあいいよ、と言い夜風がやや涼しくて気持ちいい大手町あたりを散歩しました。そしてどういう流れでなったのかはっきり覚えてないのですが、あ!今思い出した。この前ほのちゃんと会ったことを話し、そこのラントマンというカフェが彼の好き系(落ち着いててちょい暗い)なので、表参道方面来たら行こうよ!と私が言ってしまったのでした(不覚)しかし、いつとは決めていないのでsomedayです。だから、セーフ。そしたら彼が濱野先生に会いたいと言ったので5限ならゼミじゃないよと言ったら来ることになったのでした。ということで、明日は濱野先生の授業に彼が来るのです。割と楽しみです

 

 

7月6日(木)

しばらく日記を休んでいて申し訳ありませんでした。きっと皆さん楽しみに待っていましたよね。今日は七夕なのですが昨日のことを書こうと思います。

 

今日はほのちゃんと朝からモーニングの予定だったので8時半くらいに待ち合わせてたまプラーザのメレンゲというお店でパンケーキを食べました。多分ちょっと値上げしててめっちゃ安くはなかったのですが、美味しかったのでOKでした。悩みに悩んだ結果ドリンクはアサイースムージーにしましたが、美味しいのですが泥の味がしました。アサイーって思ってたより泥なんですね。ほのちゃんは、しょっぱい系のを食べてました。ほのちゃんはチョコバナナクランチスムージーを飲んでいたのですが、ほぼバナナでした。チョコの味はうっすらしました。

 

そして近況などを話し、ほのちゃんは10月の試験に向けて受験生並みに勉強していて本当に大変そうでした。毎日眠いそうです。本当に偉いし尊敬します。ほのちゃんは、昔から目標に向けてしっかり努力できる子で今は周りに切磋琢磨する子が受験と違い、いない状況下でものすごく頑張ってます。私ならストレスで死ぬと思いますが、人に当たらずコツコツとやれるのが本当にすごいです。ほのちゃんは、大学受験の時に、私に長い手紙をルーズリーフに書いて、くれました。私はそれを今でも引き出しにとっていつでも見られるようにしてあるのですが、本当に優しくて思いやりがあって、大大大好きな友達です。卒業の時も手紙をくれました。こうして大学生になっても定期的に会えて本当に嬉しいです。やはり、家が近いのも大きいポイントですね、徒歩圏内で、最寄りは隣です。

f:id:uralwaysstupidbutcute:20230707152144j:imageほのちゃんと見た上と下で温度差がありすぎた店

 

そして、私の近況を話し、私はそういえば彼から一昨日ラインがきたことを話しました。それまで色々あってかなり病んでいたのですが、私の面接の結果が気になっていたようで、元気?ときました。この前大バッドに入った時にさまざまなひとに迷惑をかけ、彼の一挙一動に心を動かされることはやめ、一度区切りをつけようと言うことでとてもスッキリして過ごしていますよ。

 

そしてその後私の大学で一緒に勉強をしようと、各駅に乗って表参道まで行ったのですが、ほのちゃんは毎日眠いそうで、寝ていました。この時、私はすごい感動したのですが、なんか、大好きな友達が横にスヤスヤ寝てることがなんかとても嬉しくて幸福な気持ちになりました。なんか、すごい急に嬉しさが込み上げてきてほのちゃんのことがこころから愛しいな←草、重いですね。と急に思いました。具体的に言うと二子玉あたりで思いました。ほのちゃんが私側じゃない方に頭がいっていたのでグイって戻しました←彼氏?

 

その後私の大学に行ったのですが、ほのちゃんはあまりお気に召さなかったようでもえちゃんとさくらちゃんとも行ったことのある青学の近くのビルに入っているカフェラントマンに行きました。そこはウィーンに実際にあるカフェラントマンという有名なカフェの日本店(公式)いうことらしいです。店内がほぼソファーで、椅子席がちらっとあり、ソファーに絶対に座りたかったので(長居する気)店員さんにすみませんがあっちの席でいいですか?と前さくらちゃんやもえちゃんと座った列のソファー席に腰掛けました。そこは、ドリンクが割と高め(ケーキ屋がなんなら安い)からか、長居しても出てけと言われません。エレガントな場所です✨✨だから、大体3時間くらいいました。青学ではやる気があまり出ていなかったほのちゃんも、かなりしっかりやっていました。私はそこでクンデラの『冗談』という作品を読み、西永さんのクンデラの研究本を読み、濱野先生が過去の生徒の卒論を2冊ほどくれたので、それを読みました。割と捗りました。

 

f:id:uralwaysstupidbutcute:20230707152636j:image

西永さんの本で印象に残ったところ。

クンデラの作品内での作者の介入はディドロの『運命論者ジャックとその主人』などに影響を受けているんだなーと思っていたらもう西永さんが書いてて、ビックリ

 

後もう一個、フランス語の本を読んでいるときなどは、フランス語の音楽が聴きたくなるのですが、その時にミシェルルグランのロシュフォールの恋人たちのサントラを聴いていました。久しぶりに聞いたのですが、これが多幸感やばすぎて、こんな音楽を作れるミシェルルグランはすごすぎる、本当に大好きすぎると思い、久しぶりに聴いたからか鳥肌がザワッて立ちました。多幸感に包まれましたよ本当に。f:id:uralwaysstupidbutcute:20230707152937p:imageほのちゃんに聴かせようかと思ったくらいです。

 

その後ほのちゃんとバイバイし、火曜2限の二年生たちとやっているプレゼミを行いました。ほぼ私が仕切っちゃっている感じになって申し訳ないです。私含めて合計四人なのですが、一人男の子が先に来ていたので二人で近況などを話していました。その男の子とは今日も集まって話していたのですがバイクが趣味のようでかなりいろんなところに行ってるようでした。200キロとか出すときもあるようで、風になってるね、と言いました。

 

その後は家に帰り、早めに寝ました。充実した1日でした!

7月2日(日)

今日は一度5:45に起きるも、流石に早いので二度寝し、8時半に起きました。

 

彼と連絡を取らないのは、最長でほぼ丸々3日位なのですが、それはいざこざがあって距離を置いての3日なのでした。しかし、木曜の夜にバイバイしてから金、土、日とまだ21:27現在連絡をとっておりません。本当は、取りたいのですが様々な実験期間中で、もう少し耐えてみようという結論に至りました。

 

しかし、話したいのですが、これを自分で唯一抑えられているのは自分のプライドです。彼の元カノの話を思い出しては泣きたいほどではないのですが、胸がちくちく痛みます、切ないですね。それがかなしいのでプライドを保てているわけです。

みなさん、この日記で恋愛に没頭する女の様子が細かくわかってよかったですね、男性の皆さんは恋愛する女の人はこういうふうな思考をしているのだとわかってよかったですね、しかし私のサブアカウントのフォロワーには男性はいないのでした。(昔もっちーがいたが、消した)

 

今日は弟と渋谷に出かけました。表参道のバイト先に給料取りに行こうとしたのですがめんどくさくてやめました。弟とラーメンを食べるのが恒例なのですが、弟はにんにくをなりふり構わず入れるのでそのあと息がめっちゃ臭いのです。だからミンティアを買ってあげるのですが、そこからは、ミンティアのさわやかさと相まって余計臭くなります。なので電車ではこっちを向いて喋らないで、と言いました。それで、くさすぎるので手話(ありがとうしかできない)か、ジェスチャーで喋ろうとなったのですが、そこからメモでの会話が始まりました。弟は最近パズドラをやっていて、SPY×FAMILYとのコラボでアーニャが強いらしく、影響を受けてアーニャのモノマネをし始めました。すごくキモいです。ですがめっちゃ面白いので、そのメモでの会話を晒そうと思います。f:id:uralwaysstupidbutcute:20230702214540p:image

ここで私もやってるやんけ、というツッコミはナシでお願いします。命令口調などもますをつけることによって、柔らかくなります。

7月1日(土)

今日は朝9時くらいに起きました。昨日がすごい幸せだったので、それの余韻で朝も幸福でした。

しかし、そうしてばっかもいられないので、頑張って起きて、二階のトイレ掃除をし、

↑これが昨日の夜書きかけた日記です。(6/30)

しかし、書く気力が起きず、書くのをやめて今に至ります。

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ここで、私はある規則を発見しました。彼と会った翌日は、余韻か何かであまり日記が書けない傾向にあるようです。今日は全然大丈夫なので、日記を書きます。今日は朝9時くらいに起きたのですが、それは家庭教師が隣の隣の駅で入ってたからです。しかし、最近はまともに長時間寝られていません。それは何故かというと私の部屋のエアコンが壊れたからです。そして、クーラーが効く、リビングで寝たり親と寝たりするのですがうまく寝付けず、満足な睡眠を取れていません。昨日のパターンとしては、2:30までリビングで寝る、弟に起こされ、俺の部屋で寝ていいよ、と言われる。弟が私の部屋で寝ようとするも私が悪いから一緒に寝よー、と言って、4時前まで一緒に寝るも、私が壁側で、弟のベッドはシングルベッドで狭いため、外側の弟は狭い&私の寝相の悪さに耐えられず、私の部屋に離脱。その動作に起こされる。そして、弟のベッドで爆睡し、9時前に起きました。弟は昨日の夜真夜中12時くらい、私が急にどうしてもポテチ食べたい、というと、自転車に乗ってコンビニまで買いに行ってくれました←こんな弟なかなかいないのは知ってます

その時弟は自転車に乗っていたのを盗難自転車だと見回り中の警察に思われ、尋問されたらしいです。可哀想すぎる。だから買ってきたポテチは警察ポテチと呼んでいました。

カテキョをした後、弟と親戚の家でゆっくりしました。自由が丘のラーメン屋に行き、私はスタバでゆっくりしていました。そこのラーメン屋は弟の人生史上、1番ラーメンが不味かったらしく、弟はずっとその後テンションが低かったです。私は、秋山さんからもらったドリンクチケットを使ったため、アイス抹茶ティーラテをフリーで飲め、普通に優雅に過ごせました。その後弟はスタバに来、(ラーメン屋の前がスタバ)ラーメンの不味さを詳細に話してくれました。これは親戚の家に行く前の話なのですが、親戚の家に行くねと伝えてる時間まで少しあったので私は存在の耐えられない軽さのフランス語版(原書)(l'insoutenable légèreté de l'être)を読んでいました。わからないところは所々ありますが、もともと日本語版をかなり読み返しているので大体の場所は日本語から類推できます。それで読んでいると弟の尊敬を勝ち取れました。

その後私はバイトに行きました。

久しぶりのバイトだったのですが、(とろろの方)やっぱり楽さを再確認し、しかも途中から助っ人という名の店長の友達(キャットストリートにある美容室で美容師をしている28歳)のお兄さんが来て、その人がめっちゃ面白かったです。しかも、その人はもともとそこで働いていたので、いろいろ手伝ってくれました。途中コンビニに行ってきて、私たちに差し入れもくれました。嬉しかったし、その人はすごい優しかったので、本来(この人がタイプ、というわけではまっったくなく)こういう人を好きになった方が世間一般の幸せは勝ち取れるなぁと思いながら話してました。

そこのバイト先の店長とは大体2人だったので、私の彼との近況はよく話していたのですが、彼と今友達関係に戻ったことなどを話すと、みきちゃんは今まで色々考えて彼と付き合いたいって言ってて結局付き合えたんだから、これからも彼との関係、結局最後にはみきちゃんの望み通りに行くと思うよ、うまく行くと思う!と言われ今はそういう優しい言葉に飢えているので普通に嬉しかったです。しかもその店長はめちゃくちゃ優しいのです。

 

しかしそうは言っても彼にしかない彼の良さを私は見出しているので彼を愛していますよ。いつでも抱きしめたいし、心の底から彼が幸せになること、そしてできればそこの横に私がいること、彼の健康などを願っています。