6月20日(火)

今日は朝起きたら昨日号泣していたことをすっかり忘れて、全てがどうでも良くなっていました(これはこれでどうなんだ)

 

そして朝から町田の税務署に行って遅めの確定申告をし、そこでの職員さんの丁寧さに感服し、その後小田急線に久し振りに乗りたかったので、小田急線と千代田線を使って表参道まで行きました。

 

その後大学の図書館に行き、クンデラで私は卒論を書くので、クンデラの本を多く借りました。そこで気づいたのは大学生活中に意外と時間がないということです、色々本を読みたいし、スペイン語などの言語も少し習得したいので、どうしようかなという感じです。

 

プレゼミのような演習は、先生にテーマが面白いと言われ、はあよかった、という感じです。

 

昨日からもうとりあえず1ヶ月は彼の望み通りにしようと考えたのですが、あやかちゃんやもえちゃんに自分の近況を話すたびに彼が私のことを再び彼女にしてくれるという可能性が見えてこないな、と感じ、打ちのめされ(彼女らが悪いのではなく、改めて自分の状況を客観視して、打ちのめされたのです)こんな1ヶ月も待つ必要あるか?こんなに辛い思いまでして?と思いましましたが、結局文学に救いを見出し、なんとか耐えようと思います。

 

母には、執着しすぎるのは良くないと言われます。これは執着になっているのでしょうか、確かにそうかもしれません。もう少し気が楽になればいいのにと思います。

 

昔、サークルの同人誌に自分の小説を載せ、それは村上春樹の『スプートニクの恋人』を少しオマージュして書いたのですが、今読むと自分の恋愛観みたいなのが如実に現れていて、かなり共感できます。f:id:uralwaysstupidbutcute:20230620202032j:image

なんでもしてあげたいって思うんだな、自分はと思いました。献身的な愛が美しいと思っているんだと思います。

 

そしてまたノルウェイの森の話になりますが、昔はノルウェイの森がそこまで好きではありませんでした。評価されすぎているので逆張りみたいなところもあると思います。しかし、今読みかえすと、本当に全てが理解できるのです。例えば、永沢さんとハツミさんの関係、永沢さんという超変人に対して3年も付き合っているハツミさんのシーンがあります。f:id:uralwaysstupidbutcute:20230620202243j:imagef:id:uralwaysstupidbutcute:20230620202249j:imagef:id:uralwaysstupidbutcute:20230620202254j:image

痛いほどわかります。私も夢とかやりたいこととかは結局あるようで、なく、大好きな人と結婚してずっと一緒にいられればそれ以外に望むものなんて本当はないんです。

だから、なんとしてでも好きな人を自分のものにしたい(この考えに古いと思う人もいるかもしれません)のです。それが私の人生にとってのゴールだからです。大好きな人と結婚して、結婚生活を幸福なまま維持し続けること、です。

 

しかし、昨日は彼に熱烈に愛されたいと言いましたが、熱烈に愛されたらその時は死ぬほど幸福だと思いますが、それが一生続くかという疑問も確かに湧いてきます。一生火の車みたいに進んでいけませんよね、どこかで前の熱烈さと比較して悲しくなったり、不満を覚えたりするよりは彼の私への愛し方のがよっぽど長く続き、恋愛での好きは人間としての好きよりも感情は強烈ですが続くものではありません。しかし、人間としての好きは、恋愛としての好きよりも長く続き消え去ることはあまりありません。そうしたら、恋愛のフェーズを超えて愛されているということの方に喜びを感じたほうがいいのではとも思ってきました。彼にもし熱烈に愛する人ができても永遠にそれは続かないと考えるからです(もちろん私も、そうです)だから皆彼のことをワガママといい、私も当たり前にもちろん、強くそう思っていますが、私の方がワガママであるということも否定できはしないのだと考えました。

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これは今日私が3限の前に考察したものです。利点を頑張ってあげつらっていますが、結局利点はありません。この実験的なことに対して彼の変化がもしかしたら期待できる、と言ったことくらいでしょうか。